1995年

 活エビでの前打ち釣り

 

 冬は釣れないからフカセ、そのスタイルできたのだがこの年からフカセはやらなくなった。というのもいままで釣れなかった1月、2月でも釣れると知ったからだ。

 3月の後半のある日の午後東提で釣れず、ふらっと岩瀬の赤灯台に寄った。すると先端付近は前打チャーが数名いて前打ちやっている。しかもエサは活きエ ビ。見ているうちに若いあんちゃんが40センチクラスゲット。まさにカルチャーショックであった。この時期こんな釣り方で良型が釣れるんだ! もちろんそ れから活きエビを持って中提にかよったのは言うまでもない。

 そして4月14日。いつもなら常連さんが多く、いいポイントに入れないのだけれども今日はフカセの方が一人だけ。少し話をするとなんでも数日前にフカセ で50,42、30と3枚あがったとのこと。やっぱりフカセのほうが有利なのかなあと思いつつも釣りを開始早々、穂先にコツンとくるアタリ。活きエビで即合わせは禁物。一瞬待って合わせを入れると本命で37センチ。しかしこのときとんでもないトラブル。あろうことかタモの長いこと使ったせいもあってかすっぽ抜けるという事態。準備をしている際に気がついてはいたが、どうせ釣れないだろうとタカをくくっていた、なんとしたことだろう。強引に手繰り寄せゲット し、あわてて簡易修理。さらにその2~3投目にヒット! これが41センチ。そしてまたしばらくして本日最高の45センチをゲットする。さっき話をしたフ カセ師の方 ”だんだんでかくなったねえ” おっとお次は年無しか?と期待するがそのあとは30センチを一枚追加したのにとどまりました。この間6時から 7時までの約一時間、沖には潮目がでており、フカセ師も30クラス2枚ゲットされておりました。

 そしてその次回釣行。朝イチ6時ごろに32センチをゲット。7時過ぎにアタリ、地球が動き出すデカチヌバージョンの気配に熱くなるが、痛恨の針はずれ。 悔しい。エサに活きエビを使っていたためエビの動きをよくするために針はカツイチのエビ角を使っておりましたが、どうもこのばらしが気になり色々と変えて いきました。結局4月はそれまでとなりましたが、この時期でも釣れるっていう自信がついた年でした。

 しかしそのあとの5月、6月は岩瀬、東提、滝、さらには入善、氷見白鳥まででかけましたが全くノーヒットに終わりました。4月がよかっただけにあせり が、、前年は6月から釣れだしたのですが、全く釣れない状態にさらなる遠征、7月17日、18日と一人で能登半島遠征を企て実行しました。17日は午後か らでかけまず滝港でエサの調達。いい感じの波ッ気。これならいまから行くところはもっといいだろうそう思って出発。夕暮れ前に蛸島漁港に到着しました。 せっかくなので夜やらないのももったいないと久々の電気ウキでの釣り。しかし何にも釣れず翌朝に期待し早々に就寝、早朝暗がりから活動開始しました。しか し、、よく見ればほとんどスケスケ状態。両提一応探るが、エサ取りの猛襲にたまらず、場所移動。飯田漁港を経て、宇出津で落とし込み。しかしあたらず。さ んざん迷った挙句、昨日状況の良かった滝へ向かうことにする。途中高浜漁港で25センチをゲット。滝港で31、25,22とサイズはかわいいながら久々の ゲット、トンネル脱出に成功しました。こんなことならわざわざ奥能登まで行かなくても2日連荘でここでやっていたほうがよかったのかなあと後悔。

 この遠征がきっかけにというか時期的に釣れるようになったのでしょう、ポツポツ釣果がではじめました。滝、そして金沢リンクス、美川への初釣行も この時期でした。8月、9月はかなりの高確率で本命ゲットでサイズ的にも昨年までの25センチアベから30センチアベにややアップしました。これもこれも 釣り方、仕掛けの変化のせいでしょう。砂カニメインから岩カニへそして針もチヌ針の4号クラスから5、6号まで使うようになりました。ガン玉に関しても今まではせいぜい重くても2Bくらいまでしか使わなかったのだけれでも3、4Bも使い出し特に終盤期は底でのアタリを取るようになりました。とくに居食い状 態でのアタリの取り方も少しづつ覚えるようになりました。盛期の釣り方だけでは通用しないことがわかったのです。そしてこの年圧倒的にゲンの良かった釣り 場が常願寺川の左岸です。いまは砂に埋もれて全く釣りにならなくなりましたが、水橋、高月に次ぐ自分にとっての大事なHGでした。平成7年全65枚中34 枚をここで釣っています。しかも35超えの8枚はすべてここです。12月12日 35センチ他4枚を年内最後となりましたが、ホントにありがたい釣り場で した。


1994年

 磯釣り

 

 この年も春のノッコミまではフカセ釣りばかりでした。しかし釣れたのは2枚のみ。そのうち2月22日新港造船所裏で釣ったのは、強風波浪警報で波高6mと いう日でちょっと無謀な釣行であった。西風が強く風にあおられながらもなんとか32センチをゲットする。それからだろうか、警報がでるとむずむずしてくる のは?

 フカセ釣りで思い出深いのは釣友4人で行った輪島小尖、大尖での磯釣りである。磯といっても近場にはあまり磯釣りできるようなポイントはない。県東部で も県境近くまで行かなくてはいけないし、県西部では伏木雨晴、氷見方面までいかないと磯場はないので縁がなかった。それゆえにほとんどが漁港とかテトラで の釣りが主だった。

 磯釣りに挑戦しようと思ったのは仕事関係で知り合った釣り仲間Yさんの影響である。Yさんは九州から転勤で金沢にに来ていたのだが九州の師匠にみっちり フカセ釣りを仕込まれていて、休日の釣行は能登半島、輪島周辺に出向くという話を聞いていた。一度は行ってみたかったので同僚等誘い4人で5月2日、3日 輪島へでかけることになった。ちょうどゴールデンウイークは、クロダイノッコミの最盛期でかなりの期待に胸膨らませて2日の昼ごろ出発し、夕方現地入りし ました。夕まづめから夜と早朝から朝まづめを狙おうという作戦でした。

 Yさん以外は磯初挑戦組み。釣り場に着いてから彼の指図で釣り座を決めてもらって早速ポイントに向かおうとしたところ、どこから降りてきたのか私が入ろ うとしていたポイントに入る。まあいいかとその隣のポイントに入る。開始してから一時間くらい経ったところで最初に入るつもりのポイントにいた人が40セ ンチクラスをゲット くやしい!! でも仕方ない 私がいたとしても釣れたかどうかわからないのだから。

 実際に釣れたのをよそ目に気合を入れてコマセを打ち、仕掛けを流すがエサ取りのフグ、アジのみばかりである。9時ごろまで頑張るが、一旦納竿し車に戻 る。そして小宴会。ビールが旨かった。翌朝暗がりから開始するものの釣果なく磯釣り初挑戦は厳しい結果となりましたが、普段の釣りとは全く違い満足のいく ものでした。その後Yさんから自作の棒ウキを一本譲ってもらった。遠矢ウキよりも下部が太くずっしりと安定したウキでとにかく遠投が効きまことに気に入っ ていた一品でしたが、何度か使ううちに海の藻屑と化してしまいました。

 

前打ち釣り

 

 この当時のフィールドは、前打ちなら水橋、高月、魚津界隈がメインでした。そしてフカセやったり前打ちやったりしているうち5月になるとこの年は記録的な 晴天続きで降雨量もかなり少なかった。そして水温上昇がはやかったせいか6月にはいってから新港付近で30センチクラスが釣れだしたという情報。自分自身 は魚津経田、補助港をメインに散策、6月後半からはほとんどボーはなかったがサイズは25センチ前後とこぶりであった。

 7月にはいると数釣りで月間79枚ながら30センチを超えたのが7月26日の水橋での37センチのみであった。

 

 カラ梅雨そして猛暑のこの年ほとんど雨が降らなかった。それゆえに朝はベタ、午後から北の風が吹き濁りが入るというパターンで、朝暗がりの一発ねらいか あとは夕まづめ狙い。もしくはその両方ということでのWヘッダーでの釣行もかなりこの年はこなした。そのせいもあり8月も51枚、、とくれば9月からは型 狙い!と期待した。しかしそうは簡単に行くはずがないもので9月には行ったとたんにエサ取りがかなり増えて来て釣果激減。終わってみれば11月、12月は 10回の釣行虚し、ボー。

 年間176枚は今でも自己最高であるが、サイズ的には全然たいしたことなく、もっとでかいのが釣りたいなあと強く思うようになったのである。


1993年

 ウキフカセ釣り

 

 本格的に前打ちをはじめたとはいえ年明け何度か水橋へでかけたが、荒れることが多くなり全く釣りにならなかった。そして1月の下旬からはウキフカセに転向した。フカセでは釣れてもサイズが小さいのだがやはりこの当時のセオリーとして冬の前打ちは釣れないという固定観念が強かったせいもあるのだろう。当時は、ウキフカセにもちょっと凝りだしていてやれコマセがどうだ、仕掛けがどうだと会社の釣り仲間といつも議論していた。濁り重視で濁りだんご、におい重視 でチヌにんにく、視覚重視でおからだんごやら押し麦やらと試行錯誤するが、一向に釣れなかった。ニオイといえばやはりにんにくである。にんにく入りのコマ セを使ったり、料理用の生にんにくのチューブを一本コマセに入れたりしていたのだがあるとき業務用のガーリック(1kg)を分けてもらったことがある。。 それを使った人が能登で爆釣したという話を聞き自分も試しにコマセにいれていたことがあるのだが、とにかくくさかった。しかし効果は???出なかった。さらににおいといえば、お正月の御神酒用に使った日本酒が開封したまま放ってあったのをもらってコマセを混ぜるのに使ったこともある。釣り雑誌にブランデー をコマセに使う人がいるというがいたのでそれなら日本酒でもいいじゃんという単純な発想である。新港東提で夜明け前からせっせ、せっせとコマセを打ち続け夜が白みはじめようという頃に刺し網の漁船がやってきてせっかくコマセを撒いた付近を通過。残念ながら効果のほどはわからなかった。

 ウキフカセではほとんどどんぐりウキを使っていた。釣研高園ウキの2Bから3Bのイエローに水中ビッグの2Bから3Bが主であった。高いウキもいくつか 持っていたが、さすがに使えなかった。どれだけウキと水中ウキとセットで失ったものだろうか? 他の小道具もとにかくよく失くしたり、落としたりした。ペ ンチ、ハサミ、コマセひしゃく、ガン玉ケース、、、うんぬん。今はペンチにもハサミにもひもがついている。

 

 2月26日現海老江マリーナ沖側テトラで32、24,23センチと3枚釣ったときはやはりうれしかった。うれしい外道といえば2月に高月で釣ったサヨリ である。38,35,30センチとまるで秋刀魚クラスのサイズのサヨリにびっくり。いままでこんなサヨリみたことない。思わずタモいれしてしまったが、魚 体が細いのでタモの目から抜けてしまいあわてて手で押さえた。もちろん持ち帰り刺身にしたが、絶品であった。フカセで一番多かった外道はやはりウミタナゴ で一瞬クロダイかと勘違いをするが引きが違うのですぐにわかる。群れでいることが多いのか、コマセ近くにわいているのか、釣れ始めると入れ食いになってし まうやっかいな外道であった。一度持ち帰って塩焼きにして食べたこともあるが、美味くなかった。

 5月7日 同僚N氏と水橋離岸提に渡るが、あたりなく早々に退散する。しかし、ノッコミの最中ということもあって午後からはフカセで新港造船所裏に出向く。夕まづめ時に20センチ台を4枚キープする。完全に暗くなった7時半ごろ36センチをゲットする。これがフカセの最大寸である。

 

そして再び前打ち釣りへ

 

 前打ちでは釣れないといいつつも時には活きエビやカニでの前打ちもためしており、最初に釣果があったのは4月9日水橋右岸テトラにての33センチであった。この年から友人のすすめもあって前打ちでも目印仕掛けを使っていたのをやめた。このとき穂先アタリで最初に釣ったクロダイである。

 そして6月後半ごろから落とし込み、前打ちに完全復活したのだが、かなり高確率で釣れるようになったのは7月にはいってからである。まずN氏が高月で 42、30センチをあげたのを聞き、自分もさっそく高月へ。前週かなりの雨で河川はかなり増水、高月も一番河口近くはかなりひどり濁りとゴミのために釣り にならず、3番で40センチを砂カニでゲット(同行N氏は、33,32,24)。さらに7月20日に同ポイントで30,25.26日に32センチとこのま まシーズン絶好調となるかと思えた。しかし、この年は記録的な冷夏。やや釣期が遅れていたせいもあったのかもしれないと自分で勝手に納得していた(?)。

 当時針はずれ、ハリス切れなどのバラシで悩んでいた。色々悩んで今まで使っていたボスカー(縒り糸)からリョービのナイロンの落とし込みラインに変えた。

 そして9月に入って石川県羽咋市滝港で今年2枚目の40超の42センチをゲット。これは今でも記憶に残る釣りとして思い出深いものである。それが忘れら れずにその後年内滝港へ4回も行ったが、30センチ一枚と良型バラシのみであった。10月、11月と釣れたといっても30前後のみで12月には行ってから は、フカセにもどってしまった(結局釣れなかった)。平成5年は飛躍の年と思っていたが、そうもいかず終わってみれば総計46枚と大きく落ち込んでしまっ た。がいろんな面でまた新たな発見のあった年であった。


1992年

 初めての前打ち竿

 

クロダイ釣り、特に前打ち、落とし込み釣りに関していえばこの平成4年が私にとって大きな転換期だったと思います。それまで何をやっても釣れないクロダイ という魚。それを追いつつ、釣り雑誌で知った落とし込み、前打ち釣り。当時はまだ富山でもまだまだマイナーな釣り方。自分自身も半信半疑ではじめた釣法でした。当時同僚でこの釣りに共感をもって一緒にやってくれたN氏、彼がいたから色々とやれたのかもしれません。

 この年の5月にはじめて前打ち竿を購入。ダイワ製、飛竜1号42-53.もちろん購入したその日に竿おろしのためエサのカニをもって新港東提へ出かけ る。、しかしもちろん結果でず。その1カ月後に20センチクラスながら新港東提で本命をゲット。7月半ばごろよになってやはり20センチ級が主力ながら釣れはじめる。このときに通っていたのが滑川の高月です。実績は一番テトラの左端、2番の左端が多かったように思います。

 

初めての30オーバーと離岸

 

 とそして初の30オーバーが8月4日の高月一番でした。数日前に降った雨の濁りを期待してでかけたのですが思ったほど濁りはない。しかしうねり少しきつく手 前付近はサラシになった状態。当時はあまり荒れた状態での釣りはやっていなかったのだけれども沈みテトラの間、沈みテトラ際を集中的に狙い初の30超えの 33センチをゲットする。そして28,25,24,24,22,22,21,21,19,2枚リリースの12ゲットと落とし込み初の二桁釣果となりまし た。このときは30センチ級ながら釣具店で魚拓まで取ってもらったほどのハイな状況だったようです。当時自己記録が27センチ一日で2回記録更新する。

 続く8月6日も2年生ばかりながら8枚ゲット。さらに8月10日初離岸(水橋)の11枚、33センチを頭になんと12枚。。34、33,32,27、以 下7枚がとっても記憶に残っております。この日はボート所有している同僚N氏のご好意により離岸提にはじめて渡ることになったのですが、はじめての離岸と いうことと台風が通っていたあとというまたとない条件の日ででかなり期待モードの高い状況でありました。暗がりから準備をはじめ渡り始めるころ辺りは明る くなってきました。そして第一投、いきなりのヒット。それからはものの一時間が時合いだったのでしょう、クロダイ、シマダイが入れ食い状態34、33、 32、30超えを3枚含む計11枚。N氏は数は釣れなかったがきっちりと41.5センチをゲットする。離岸提とはこんなにつれるのか、などとおもってしま したがそれは単なるビギナーズラックだったようでその後何度か離岸提に連れて行ってもらったのですが、N氏が40センチを釣った以外は私はボーの連続でし た。

 そして8月17日には4回目の記録更新となる40オーバー(41.5センチ)をゲットしました。このころから私がクロダイをよく釣っているという話をき きつけクラブのメンバーが一緒に行こうと同行した日でした。ただこの日はずっと通っていた高月でしたがスケスケであたりなく早々に切り上げたのですが、水 橋常願寺右岸は数日前の雨のせいか濁りがありました。エサは高月で使い果たしていたので河口付近で地カニを採取し、釣り再開。はじめた早々にヒットしまし た。当時は高月をはじめ割と水深のある釣り場が多かったので水橋のような浅場で良型が釣れたことにびっくりしました。さすがに姿を見てこれはでかいと思い 同行した同僚にタモ入れしてもらいました。ストリンガーに掛けたものの逃げやしないかと不安でならず、早々に納竿しました。これまた魚拓にしてもらった私 は、やはり舞い上がっていたんでしょうね。

 その時の仕掛け

  道糸ボスカー1.5号 仕掛け3号 15センチ間隔自作 ハリス1.2号1.5m 針カニ専用4号

 当時ボスカー縒り糸を使用していたのは、初離岸の際にあとから渡ってきた高山の釣り師の影響です。少し話を聞かせてもらったのですが、その方が使用して いたのがメーターロックという縒り糸。当日自分自身道糸3号、ハリス1.5号を使用していたのですが、テトラですらればらしておりやはりデカイのを釣るに はスレに強い仕掛けが必要なのかなあと思い使ってみたものです。しかしハリスに関してはやはり太さに抵抗があったんだと思います。

 

記録物

 

 そしてこの年5度目の記録更新サイズをゲットしたのが9月4日でした。その前日一時的にかなり激しい雨が降る。しかし高月は濁りは入らず。しかし水橋は先日の41.5センチをゲットしたときとおなじコーヒー牛乳色だったと記憶しております。あれ以来2度ほど水橋には釣行したがそれまでとは違いかり水位が高 くポイント選定が難しい状況でした。やや沖目を狙うがあたりはない。砂カニを使うがエサ取りも来ない状態でした。沈みテトラ際に落としたところ目印仕掛け に変化。合わせを入れると重たい。うむ、、これぞ潜水艦の引き。夢中でやりとりするうちにハリスがヒレに引っかかり横になった状態のところをタモいれ。無 事ゲットする。タモを寄せるとすごい重量感。いままで経験のないことであった。47センチ、ひょっとしたら50センチあるかも?当時はそれほどのサイズは 見たことがなかったので期待したが、年無しではなかった。

 さっそく自慢げに会社の同僚に見せに出かけた。ここまで5度の記録更新で50オーバーは時間の問題。今回は魚拓にしなくてもいいや、と自分では思い込ん でいたのだが同僚に諌められ3枚目の魚拓をとってもらうこととなった。まさしく同僚のアドバイスは、的確であってそれから年無しをゲットするのに5年の月 日を要することになりました。

 

初めての釣り大会参加

 

 10月、11月になると釣れはしたものの30センチ前後ばかりそれも単発が多く、そろそろ終わりかなと予感させました。しかし、この年の勢いでしょう か、12月までしっかりと前打ち一本で望んだ結果、12月4日に37センチ(水橋)そして12月22日ベタスケの水橋で42センチ(自己2番目の記録)を ゲットしてこの年を納めました。翌年のお正月は、最後に釣ったクロダイの昆布〆ので美酒に酔いました。、

またこの年の思い出といえば初めて参加した釣り大会。最近ではかかり釣りで業界誌に登場することが多いが、当時落とし込みといえば大脇立也氏と2分するほど有名であった山本太郎氏の所属するリョービの大会に同僚N氏と参加したことで ある。大会の開催は黒部石田ヨットハーバー、参加人数は50名。5時から8時までの匹数を争う大会でしたが、あいにくの海況で釣果があったのは4名(4 枚)という貧果。連続自己記録更新という勢いをかって参加したものの自身は全く釣れずボーに終わりました。

 

仕掛け作り

 

 落としこみに仕掛けは自分でほとんど自作しました。ちぬ倶楽部とか釣り雑誌で名人と言われる人の仕掛けを参考に発泡シートを使用して仕掛けの長さを2.5 メートルだの3メートルだのと、そして間隔を何センチにしたら一番見やすいのだろうか、そして色は何が見やすいのだろうかと試行錯誤しながら何種類ものパ ターンを自作しました。この時間もまた釣りをしているとき同様に楽しいものです。最初に始めたキス釣りの時も仕掛けは自分で作りました。投げ釣り仕掛けなんぞ市販品を買えば安く買えるのだけれどもなぜかこだわった。キスの投げ専の針にハリスは太めで2本針、3本針、スペアの針と作っていた。こだわっていたわけでもないのだけれでもやはり家にいても釣りのことばかり考えていたかったのだろうか?